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「溺れる者は藁を放せ」〜脱毛治療の果ての果てに

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「溺れる者は藁を放せ」〜脱毛治療の果ての果てに

その男性は20代前半からすでにハゲていた。海外での過酷な経験がストレスとなり、円形脱毛症を発症。帰国後、ストレスは消失したものの脱毛は進行。数か所の円形がつながり、拡大し、頭部のほぼ全域にわたりハゲとなった。進行速度が速かったためか、育毛剤ごときでは追い付かず、もちろん病院を受診するなぞ考えも及ばず、とにかく人目を避けること。
久方ぶりの日本で会いたい友人知人もいるだろうに、軒並みシャットアウト
で家に引きこもった。

 

さて、どうしたものか。このまま一生ひきこもるわけにもいかず
さりとてこの姿を誰の目にも晒したくはない。なにかいい知恵はないか。
考えあぐねた末、彼が下した決断は「かつら」であった。
かつらをかぶり、以前と変わらぬ毛量の自分をでっち上げた。
齢25歳にしての全面降伏である。屈辱以外の何物でもなかったろう。
が、それよりも、真実の己が姿を人前にさらすことの方がよっぽど屈辱だったのだ。この時の彼の気持ちは経験したものでなければわからないであろう。
所詮どっちをとったところで屈辱に変わりはないのだから。単に多寡の問題だけなのだ。それでも選択せずにはいられない。これもまた更なる屈辱である。
打ちひしがれ、へたばった心を何とかとりなして、それでも陽のもとに一歩を踏み出す。笑顔を取り繕い、陽気に会話をなし、さも若き日々を謳歌しているがのごとくふるまわねばならない。
内心、ヅラがいつバレるかと冷や冷やしながら

 

が、そんな彼もやがて伴侶を得て、ささやかな所帯を持つにいたった。
日常の幸せに比例するかのように、頭髪はみるみる復活し、かつらなどもうすっかり過去の話となった。
しかし結婚10年もたつと年齢も手伝ってか、再び頭髪が心もとなくなってきた。
サクセス、スカルプと次々に育毛剤を試すも効果なし。ついに奮発してリアップ
に手を出す。効果なし。
万策尽き果てたと思ったのか、彼はかろうじて残っていた毛髪を全て自ら電気バリカンで刈り取り、わずか数ミリほど刈り残った毛も手にした剃刀でツルツルに剃り上げてしまったのだ。
あまりの潔さに家人のほうが狼狽えてしまう始末。が、当人はいたってさっぱりとした面持ちで「これで悩みのタネがなくなった」。

 

職場の人の反応に戦々恐々となるかと思いきやさにあらず。
「お、さっぱりしたじゃん」で終了とか。つまり、まわりもみな「大人の対応」をしたというのである。日々衰え行く毛髪の惨状をつぶさに見てきたわけだから、これ以上とやかくは言わないし、言えないのだ。
「察する」ことができる。これぞ社会人というもの。日頃はとかく悪口や嘲笑の対象にされやすいサラリーマン社会だが、どっこいだてに辛酸をなめているのではないのである。

 

通勤用やプライベートな外出用に帽子やバンダナを利用している。
近頃はその被り物に合わせた衣類を選ぶという、逆転現象も起きてきている。
以前には考えられなかったことだ。いわんや身に着けるもの全般に多少の注意を
払えるようになった、トータルなバランスを考えるようになった。
つまり、「おしゃれ」に目覚めたのである。(微々たるものだが)

 

あれほど頭髪に悩んでいた日々があったなんて、信じられないくらい「ツルッパゲ
ライフ」を謳歌しているこの男性に、リアップ以上のミノキシジル薬品が個人輸入で手に入れられることを教えてあげればよかったと、後悔混じりに伝えたところ
「そんなあぶなっかしいもの買う気にならない」
と言下に否定された。
確かにミノキシジル承認薬は唯一リアップだけ。個人輸入は海外ものだ。
しかも医師の処方箋を必要としない医薬品なのだ。
コワイと思うのが当然であろう。彼の判断は少なくとも妻である私には「まっとう」に思える。

 

今ここで、AGAに悩んで藁にもすがりたい気持ちの方々に対し、夫の決断を推奨する気はさらさらない。だが、あえて恥を忍んで書いたのには、「そんな人間もいる」ということを知ってもらいたかったからである。

 

悩みがある。それは自分にとってマイナスの部分だ。なんとかして克服したい。
例えば数学が苦手という悩みがあるとする。なんとかして数学ができるようになりたい。苦手でないようにしたい。そのためにはどうしたらよいか。
さまざまな勉強法を試みる。遊びの中に織り交ぜてみる。数学の先生を好きになる、等々いろいろトライする。結果、数学の苦手が克服できたか?
できない人だっているのである。残念ながら。
一方でこういう考え方もある。数学が苦手である。それはもういたし方ない。
だったら何が得意か? 歴史が好きだ。ならば歴史をさらに伸ばしてみようじゃないか。数学は思い切って手放してしまうのだ。
彼の手法はややこれに近いかもしれない。

 

私のリスペクトしてやまない人間はある時こう言った。
溺れる者は藁を手放せ!
なんとヒドイ。溺れる者は藁をもつかむのが本当じゃないか。
だがその必死の思いでつかんだ藁をいったん手放せ、と言う。
手放して、溺れてみろ、と。
溺れたら死んじゃうじゃん。……でも、死なないらしい。
必ずや「誰かが(何かが)」あなたを救ってくれるのだという。
彼を見て、うなずけるものがあった。彼は自らの手で頭髪という名の藁を手放した。それは彼にとって「死」を意味するはずのものである。
(かつてはかつらをかぶっていた男だ)なのに死ななかった。
周りの反応はあっけなく、悩みのもとは根絶した上おしゃれというプラスの面も見いだせた。死がむしろ新たな誕生へと変換されたのである。

 

AGA治療は不妊治療と似ている。ある種の宿命。でも自らの努力で状況を打開しようと思っている、という点で。戦いのさなか、様々な葛藤を経験するという点でも一致する。(高額という点も)その結果、みのりがもたらされればいいのだが、残念ながら、という人だっている。
その先は人それぞれだが、どうころんでもそれは新たな「誕生」の場面であると思う。収穫がなかったのでは決してないのだ。

 

最後に。
まだ夫と結婚する前、デート中彼が突然「知っておいてもらいたいことがある」といって、かつらをとってみせた。いわゆるハゲだった。
かつらに気づきもせず、ましてやそのような状況であるということも全く知らない私だったが、少なくとも彼のありようは、みっともないとも恥ずかしいとも思わなかった。むしろその反対。これほど奥深い部分を見せてくれたことに対する喜びと感謝と責任を感じた。その後のプロポーズを素直に受け入れたのだった。

 

女性は、男性が思っているほどハゲなんか気にしないものです。

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